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小学生のスマホ所持率は3割~4割、中学生にいたっては7割~8割
ちょっと前に、大阪の公立小中学校で携帯の持ち込みが一部解除になるということが話題になりました。これは、誤解があったようですが、登下校時の災害対策や防犯目的での使用が認められのであって、校内でのスマホの使用が認められたというわけではありません。
ですが子どものスマホの使用ということに関して十分な問題提起にはなっていると思います。
大まかに言って今の小学生のスマホ所持率は3割~4割、中学生にいたっては7割~8割と言われています。
これだけ子どものスマホの普及が急速に進んでいる中で、小中学生がスマホとどう向き合っていけばよいのか、また親はそれに対してどう対処すべきかについては、あまり議論がなされていないのではないかと思います。
そこで今回は、子どものスマホ依存に対して、親としてどうあるべきかについてお話してみたいと思います。
大人にもいるスマホ依存
子どもにスマホを持たせるべきかどうかということに関しては、もちろん年齢にもよりますが、持たせても良いと思います。というか、時代の流れとして、持たせざるを得ないとうのが正直なところです。
もちもん、SNSに深煎りして犯罪などに巻き込まれるとしたら、それは言語道断ですが、普通の使い方をしていても、ついついスマホを使う時間に多く取られがちです。
スマホゲームやLINEなどのSNSにはまって、気がつけばスマホ依存に陥ってしまう。
大人だっていますよね。スマホ依存の人。または、アルコール依存、ギャンブル依存、ゲーム依存、買い物依存、などなど、依存と名がつくものに誰もが種類の差・程度の差はあれ、なっているのかもしれません。
きちんと対処しなければ、依存予備軍から依存になり、やがては依存症に発展し、中毒になる。これはあり得る話だと思います。
貴重な「すきま時間」をうばうスマホ
スマホの何が問題かというと、24時間いつでも身近に「依存」のもとであるスマホを身につけておけるという点です。
ある子どもが、スマホゲームにはまっていたとします。
スマホゲームの問題点はいつでもどこでもできるという点です。
ひと昔前のゲームだったら、テレビにゲーム機をつないでセットしないとゲームができない。当然、ゲーム機がある部屋の中でしかゲームができない。つまり、ゲームをする空間を確保しなければできなかったわけで、その空間から出ればいつでもゲームを中断できたわけです。
ところがスマホゲームだといつでもどこでも持ち歩いてゲームができるようになる。ちょっとした休憩時間や場所の移動中、待ち時間中など、細切れな時間もスマホの画面に向かう時間で埋め尽くされる。
そうしたスキマ時間もスマホの時間に当てることができるのは一見したところ、合理的なようですが、実はその合理性が仇(あだ)になっています。
例えば、勉強と勉強の間の休憩時間はリラックスして脳を休める時間であり、次への取り掛かりの貴重な準備の時間です。そこにスマホの時間を入れ込むとどうなるか、スマホ疲れして本来の休憩の意味をなさなくなるおそれがあります。
つまりスマホの何が問題かというと、便利であるがゆえに、貴重な「スキマ時間」を奪っていることにあるということです。
もしこれが、大人であれば、管理できないのは自己責任ということになります。
ですが、子どもの場合どうでしょう。最初から、自由にスマホを使える環境を与えられて、しかもなんの制約もないとしたら。
もちろんその子が自制心がはたらく子であればいいのですがそうとも限らない場合も多いと思います。
「自由に使える環境」+「自制心が未発達」で、容易にスマホ依存の子どものできあがりということになります。
そうならないためにも、親は子どものスマホの使用に積極的に介入すべきだと思います。
もちろん、この場合、その子の自制心の発達具合によるでしょうが。
そこを見極めて、使用時間の制限などのルールを決めていく。
はじめてスマホを買い与えるときは、ルール作りはしやすいかもしれません。
ところが、すでに「スマホ中毒」状態になっている場合はどうでしょう。
はっきりとした統計的な数字は存じ上げませんが、かなりの数の中高生が、スマホ中毒に近い状態になっているのかもしれません。
やめたくてもやめれない心の叫び
で、ここがポイントなんですが、そういう自制心が未発達で、スマホをやめたくてもやめられない子は、得てして自覚している子が多いということです。
やめたいけどやめられないから、周りから強制的にやめさせてほしいと本人自身が心の底では思っているということです。
その場合、「だれかやめさせて」という心の叫びが、何らかのサインとなって出ているはずです。
そういうときこそ、親として自己管理ができるような手助けをしてあげるべきだということです。
電波の届かないような田舎で農業体験をしたりといった、スマホを使えないような環境に身をおくとそれだけで、とてもリフレッシュできるものです。そこで気づくことは、スマホは、便利さと引き換えに何かを失っているという諸刃の剣になっているということなのかもしれません