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東大までの人と東大からの人
同じ東大合格者でも 東大までの人と東大からの人がいると言われています。
厳しい受験勉強をくぐり抜けて、晴れて東大生になったはいいものの、そこが人生のピークであとは下り坂の人が「東大までの人」、東大を出たあと、その後も期待通りの人生を歩いていけるのが「東大からの人」だそうです。
これはもちろん東大に限った話ではありません。
中学・高校・大学どこの学校に合格しても「合格校までの人」というのは、起こりうる話です。
そんなの目標の学校に入ってから考えればいいだろう
まずは目先の目標の学校に入るのが第一優先
そう思うでしょうし、今の入試制度がなくならない以上、それはそれでもっともな意見です。
医学部に合格できなければ医者になれないというように、とりあえず、合格しなければ、将来の夢の実現に近づけないとしたらなおさらです。
一番理想的なことを言えば、受験勉強を戦い抜いて目標とする学校に合格したことが、次のステップに活かされるということになろうかと思います。
受験燃え尽き症候群
でも現実には、受験燃え尽き症候群とでも言ったらいいでしょうか、いわゆる「合格校までの人」が数多く出てくる。
せっかく入ったはいいが、やる気を失ったり、ついていけなくなって退学するようでは元も子もありません。
そこまでいかなくても、受験で燃え尽きてしまって、受験勉強でやってきたことが次のステップで活かされていない。
なぜでしょうか?
結論から申し上げると、これは、受験制度そのものに問題がある部分と、本人の資質による部分の両面があります。 受験制度の問題点についてはまた別の機会に取り上げるとして、ここでは本人の資質の問題についてお話ししていきます。
ずいぶん古い話ですが、かつて大阪の小さい私塾で何人もの灘高から東大へ行った生徒を輩出した入江塾という伝説の塾がありました。そこの塾長の入江先生が、その著書でこんなことを話しておられました。
生徒には青信号の子と黄信号の子がいると。
青信号の子と黄信号の子
青信号の子は、遊びの部分というか伸びしろがある。自分の将来を決める大事な受験でさえ、どこか楽しんでいるふうでさえある生徒です。
これは成績の良し悪しとはまた違ったメンタルな側面でもあります。スポーツの世界でもいますよね、 天才肌の人が。こういう人は得てして合格していきますが、たとえ受験結果が不合格であったとしても、その時の受験勉強が大きくプラスに活かされる人ということになります。
これに対して、黄信号の子は、この反対で、いっぱいいっぱいの子ということになります。
能力的にも気持ちの部分でも、余裕がない。
でも黄信号の子もいいところはあります。まじめで集中力があるという点です。塾や家庭教師の受験指導で指示されたことは、一生懸命やろうとする。
だからこそ合格したとも言えます。、
毎年、受験指導していて思うことは完全な真っ黄色ではなくても、どこかしら黄信号の要素を持っている生徒が、圧倒的多数だということです。
つまりほとんどの人が、憧れの学校に合格したはいいが「合格校までの人」になる危険性を秘めているということになります。
その生徒の耐性にもよりますが、ピンと張り詰めた緊張感の中で受験勉強を過ごす期間が長いほど、とおってからの、その反動も大きいです。
また、真面目な生徒ほど指示待ち型の受験勉強に慣れきってしまい、自主性や独創性を発揮する場では、何をしたらいいか戸惑ってしまうでしょう。受験勉強にはあまり必要のない能力だからです。
自主性や独創性が求められるが求めれらる社会
ここまで話してきて、あることに気づかた方もおられると思います。
黄信号の子の特性はそのまま日本人に多く見られる特性ということです。
受験のような決められた枠の中の競争は、真面目に集中して取り組める。
ですが、自主性や独創性が求められる環境に身を置くと、途端にどうしたらいいかわからなくなってしまう。
今後AI化が加速度的に進んでいく社会で、記憶力や処理能力が求められる分野はAIにとってかわるようになり、自主性や独創性などが今後、今以上に重要になってくると思われます。
つまり、ますます黄信号の子が生きにくくなる社会が来るということです。
そんな中で、黄信号の子ができることはなにか。
黄信号の子にすぐに青信号になれと言ってもできないでしょう。
むしろ、真面目で勤勉という黄信号の良さは認めてあげるべきです。
志望校合格はゴールではなくて、スタートラインだと意識することだと思います。
志望校に合格したから、バンバンザイではなく、志望校に入ってからが本当の試練が待っているという自覚を持つことが大事なのかもしれません。